わたしのこと
はじめまして
一般社団法人ドゥーラ協会
認定産後ドゥーラ
宮幸佐愛和
みやこう さえか
です
私のことを少しお話させて下さい
1976年10月2日
山口県下関市産まれ
3人年子の真ん中長女として
育ってきました
私の育った地域は
小学校では学年18人しかいない
海のある小さな町です
朝は早くから
道端に腰かけて会話する
おばあちゃんたちの話し声と
にわとりの鳴き声で目が覚め
夜になると
信号も街灯もない真っ暗な空に
星がきれいだったことを今でもよく覚えています
夏になると
水着のまま浮き輪を持って
家から海まではだしで走って行く
そんな自然の中で
海の岩場や山などを遊び場にして育ちました
バレーボールにあけくれた青春時代
県大会出場を果たしました
その後は就職のため愛知県へ
1998年、21歳で結婚し
1999年に長男
2001年に長女
2002年に次男
2008年に次女
4人の子どもを授かりました
どうして産後ドゥーラになりたかったのか?
それはやはり
自分の子育ての経験が関係しています
初めての妊娠・出産後は
毎日孤独の中、ただ時間が過ぎていきました
実家も遠方で
夫は仕事が忙しく
休日以外は赤ちゃんのお世話は頼れず
結婚後に退職し引っ越してきたので
友人も知人もおらず
赤ちゃん以外の人と全く関わらない毎日は
社会からの孤立
不安が蓄積され
本当にさみしかった…
夫が帰宅するまで誰とも一言も話さない日も
たくさんありました
赤ちゃんとの生活は幸せなはずなのに
こんなことを思う自分を
責めたりもしました
上の3人が
4歳・2歳・1歳の時に
夫の転勤で東京へ引っ越し
夫婦ともに実家が遠方で
両親の助けは得られない
夫の帰りは22時近い
転勤前は義両親と同居しており
大人の手がありましたが
引っ越し後にワンオペ育児がスタートし
毎日疲弊していたと思います
しかし、そこは社宅で
同じ境遇の社宅の友人と仲良くなり
毎日公園へ行ったり
家でみんなで遊んだり
一緒にご飯を食べたり
共に時間を過ごす仲間ができました
自分が体調が悪くなると
子どもを預かってくれて
子どもと一緒に夕飯のおかずも届けてくれる
そんな事が自然に
お互い様でできる関係性でした
みんなで一緒に育てる
という環境が
どれだけ安心できる事なのか
それによって自分の気持ちが
どれだけ軽くなるのかを
経験する事ができました
今思えばあの時の私は、ドゥーラだった
そして私の周りには、ドゥーラがたくさんいた
そう思います
赤ちゃんに関わるお仕事
家事をお手伝いするお仕事
色々とありますが
その両方ができる、お母さんをまず一番に考えるお仕事の
産後ドゥーラを知った時は
これだ!!と思いました
安城市に戻ってきて10年以上が経ちます
我が子の世代が
成人して結婚して
そして、親になる
そんな年齢になりました
今の私だからこそできる事が
あるのではないかと思っています
「子育てはひとりではできない」と
よく耳にします
家族の協力があって
両親の協力があって
友人の協力があって
それに加え
行政や専門家
有償ボランティア
民間サービス
ありとあらゆる選択がある事を
多くの方に知ってほしいと思います
産後ドゥーラも
その輪の中に加えて頂けると幸いです
本当に困った時…
がんばりすぎたと気付いた時…
心も身体も疲れ果てて
動けなくなってしまった時…
そんな時は(できればそうなる前に)
誰かの手を借りて下さい
そのお手伝いをさせてください
2024年に孫が誕生して
産後ドゥーラの必要性を
改めて強く実感しました
「赤ちゃんはみんなで育てようね!」
「ひとりでがんばりすぎんでいいよ!」
「いつでも連絡してきてね!」
最後まで読んでいただき
ありがとうございました
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